
自信が持てるようになったきっかけ
私は8年間、迷走した絵描き人生を送っていました。
何を描いても収入に結びつけることができず、本来の自分の画風を曲げてまで仕事に繋がりそうな絵を模索しましたが何一つ身を結びませんでした。先の見えない日々を送っていました。
そんな低迷をしている中、ある知人から絵の制作依頼を受けました。
職場の同僚のからの依頼でした。依頼内容はその知人のお父さんの肖像画を描いてもらいたいというものでした。
そして、その知人のお父さんはガンに侵されていてもう余命があまり残されていないとのことでした。お父さんへの最期のプレゼントということで私に絵を描いてもらいたいとお願いをされたのです。
私は過去にも数回、友人、知人からちょっとした絵の依頼をもらったことはあるのですが、そういう時は決まって最初に湧き上がる感情は嬉しい気持ちよりも
「相手を満足させるだけの絵が描けるか・・・」といった不安な気持ちでした。今回の依頼の時もまさにそうでした。人生最期のプレゼントとなればなおさら不安な気持ちでいっぱいでした。
しかし、どうしてもと懇願されたので仕方なくその依頼を引き受けることにしました。描き始めは構図や画材の選択に色々思い悩みましたが、ストレートに自分の一番得意な鉛筆画で勝負することに決め、6日間かけて一気に描きあげました。その時の自分の全ての実力を出し切った自信はありました。
数日後、緊張しながらも知人に絵を見せると驚くほど喜んでくれました。
肖像画を描くに当たって、ガンになる数年前のふくよかなお父さんの写真を預かり、その写真を元に肖像画を描いたので当時の元気だった頃のお父さんの記憶が蘇ったらしくとても感動してくれました。
とりあえず満足してもらったので私も心から安心し、心がすさんでいた日々から少し解放された気持ちになれました。
知人の言葉
その後、制作費の話になったのですが、先程も述べたように依頼主を満足させられるか不安な気持ちが前提にある為、制作費の話によるなると毎回必ず、
「5000円ぐらいでいいよ」と到底制作時間に見合わない金額で依頼を引き受けてしまっていました。
その時も「5000円で良いですよ」と気楽に返答をしたところ、その知人は、
「いやいや、いつまでも友達価格、知り合い価格でやっていたらダメだよ、それじゃいつまで経っても絵の価値が上がらないよ」と叱咤激励してくれたのです。
その言葉が非常に心に突き刺さりました。「本当にその通りだ・・・」と痛感しました。
今までの私の精神構造を図説すると、
「イマイチ自分の絵に価値を感じられない」
fa-long-arrow-down
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「安い価格で引き受ける」
fa-long-arrow-down
「自分で絵の価値を下げる」
fa-long-arrow-down
「絵の魅力を伝えられない」
という負のループの繰り返しでした。
描いた本人が自分で絵の価値を下げていてはその絵を買いたい、使いたいと他人が思うはずがありません。そのことにようやく気が付きました。
結局その知人は「かなりの額」を依頼料とし渡してくれました。それ以来私はまず自分で自分の絵を好きになり、自分自身で高い価値を設定することに重きを置くようにしようと思うようになりました。
自信が持てなかった原因
そもそもなぜ自分の絵に価値を感じられなかったのかと原点に立ち返ってみた結果、
「もっと凄い絵を描かなければ評価されない、もっと努力しなければ報われない」という凝り固まった規制概念が大きく起因していることがわかりました。
こういった思考の流れだとまずスタート地点で「まだまだ自分の絵には価値が無い」と自分で認めてしまっていることになります。
そうではなく始めのスタート地点で「自分の絵には価値がある」と思い込んでしまっていいのだということに気が付きました。
例えばそう考えてみると、
「自分の絵には価値があると思い込む」
fa-long-arrow-down
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「自信を持てる価値ある絵が生まれる」
fa-long-arrow-down
「堂々と相手に絵の魅力を伝えることができる」
fa-long-arrow-down
「相手の購買意欲につながる」
fa-long-arrow-down
「それ相応の価格を設定できる」
というプラスの流れを生み出すことができるようになると思うのです。やはりプラスの空気が無ければ人生良い方向には向かいません。
自分で価値を生み出す
「自分の絵」に自信が持てないという時は上記の通り、スタートの思考で「自分の絵には価値がある」と思い込むことが重要なのだと私は考えます。「自分の絵に価値があると思えるか?」ではなく「価値があるのだと信じ込むこと」、それ自体が良い流れを生むスタートラインになり得るのだと思うのです。
「絵」というものは時に、思い詰めるよりもある意味、気楽になって考えた方が良い結果につながることが多いのではないか・・・と最近つよく思います。