はじめまして!絵描き歴約20年のパステル画家のKeigoこと中原啓吾です!!
40を過ぎてしまったオジサンでございます。
私は今まで色々な画材を使って絵を描いてきましたが、ここ数年はほのぼの系、創作系のパステル画を描いています。
さあここからは私の過去のお話になりますが・・・、
私は過去、激務とパワハラにより「うつ病」と「酷い悪夢」を経験しました。ただその後は復活し、現在では働きながら暖かみのあるパステル画を中心に画家活動を続けています。
これまでの画家人生を自己紹介として綴ってみようと思います。
「働きつつもパステル画を学びたい!」という方や、「パステル画にちょこっと興味がある」という方に是非読んでもらいたいストーリーです。
まず私が「絵描きを目指そう!」と思うようにきっかけですが・・・それはモンスターのような「パワハラ上司」の存在があったからでした・・・。
まさに「The Monster」でしたね笑 後にも先にも彼以上の存在は出てきていません・・。
目次
「絵に不向き過ぎた幼少期」
1979年11月19日生まれ3人兄弟の末っ子です。末っ子なのにもう41歳です。生まれも育ちも八王子市ですね。
私は小さい頃から絵が好きでした。それは紙と鉛筆さえあればすぐに始められる「単純さ」に惹かれたからでした。
今でこそ細密画っぽいパステル画も描いていますが、小さい頃は・・・凄まじく不器用でめんどくさがり屋で何より絵が下手でした。
小学校の頃の授業参観に来た母が後ろに飾ってある40人分の生徒の絵を見て、
「あ~この魚の絵はひと際下手だなあ・・」と思ったらしいのですが、
・・・
・・・
私の絵でした。
小さい頃は落ち着きもなく、何かを観察するということが面倒くさくて仕方がない性格でした笑 まさに絵に不向きな幼少期でした。
「絵を意識し始めた中高生時代」
中学生ぐらいから徐々に「美術全般」に興味を持ち始めました。
その頃、制作したのが上の版画作品(ナイキのシューズ)です。中学生当時の自分にとっては物凄く集中して細かいところまで再現した作品になります。
成績も5段階で「4」をもらい、親にもほめられた作品でした。他の教科はボコボコでしたが。
「集中する自分に酔う」高揚感みたいなものが芽生えた瞬間でもありましたね。この頃から細密画に興味が湧いてきました。
ただ画力はまだまだ乏しく、高校生ぐらいになってもこんな訳の分からない絵を描いて結構満足していましたね・・。
中高とバスケ部に所属して、汗を流しながら「絵」というものが自分の中でどんどん大きくなっていくのを感じていきました。
「画力を磨いた?美大生時代」
高校卒業後、一浪の末なんとか東京造形大学 美術学科に入学しました。当時は「美大ブランド」みたいなものに憧れてた節がありましたね笑
4年間で何とか基礎的な画力を身に付けながらも・・、実は4年間を通して「プログラマー」や「システムエンジニア」など「IT職」への憧れが強かったんですよね・・笑
その当時ちょうど「IT系」や「ハッカー」を題材にした映画をよく見ていたのも強く影響したのだと思います。
ただやはり「絵が好きだっ!!」という気持ちはDNAに刻まれていますので、何とか画力向上は果たして卒業しました。
「パワハラ上司のおかげで絵に目覚めた」
大学卒業後は絵のことが頭にありながらも、20代中盤から念願のIT職に就きバリバリ仕事に打ち込むようになりました。
この頃は「絶対絵の道に進もう!」という考えはあまりありませんでしたね。なんとなく会社員として生活していければいいかな・・ぐらいに考えていました。
仕事内容は発売前の携帯電話(ガラケー)のエラーをチェックするというものでした。非常に責任の重い仕事でしたし、ある意味「人生最大の転機」ともなった時期でした。
そして・・・この時期に「地獄」を見ることになったのです・・・。
要はとんでもなく厄介な「上司」に出会ってしまったということです。その上司は一言で言うと「パワハラのかたまり」といった存在でした。
身長は183cm、体重100kgと、見た目からも絶対に逆らえない負のオーラが放たれていました。まさに実写版「ジャイアン」といった風体でしたね。
さらに自慢話、私生活への介入、理不尽な作業配置、意味不明な暴言、公然での給与に関する発言 等々、漫画や映画にでてくる「嫌な上司」そのものでした。
当時は「パワハラ」という言葉もそこまで聞かない時代で、上司の横行が簡単にまかり通ってしまう風潮がそこにはありました。
月250時間以上の激務プラス「上司」が私の脳を洗脳し、まともな思考すらできないほど追い詰められていき、日々とてつもないストレスを感じるようになっていきました。
その結果、「軽度のうつ」と「日々の悪夢」を発症するようになってしまいました。
先の見えない深い、深い暗闇に堕ちていきました。
・・・・・・・・・。
「このまま仕事に押しつぶされるのが人生なのか・・・?」
「今の人生で満足と言えるのか・・・?」
「自分が本当にやりたいことは何なんだ?」
自分に正直に・・・物凄く正直になって心を「無」の状態にしてみました。
・・・。
すると自然と心に浮かんできたのが、「絵」のことでした。
追い込まれて、追い込まれてようやく、「本当の自分」に出会えた気がしました。人間はやっぱり追い詰められることも時には必要ですね笑
この時「一生絵を描き続けていこう」と心に決めました。絵と共に私の人生があります。
「画材を意識した夜間専門時代」
パワハラ上司のいた会社を退職後、29歳から原宿の東京デザイン専門学校 夜間イラストコースに通い始めました。改めて絵を学び直したいと考えたからです。
新しい仲間と共に清々しい気持ちで絵に向き合えた1年間でした。
夜間部修了後、ウェットな絵の具系の画材を諦め、ドライ系の画材「鉛筆」と「色鉛筆」と「パステル」の3つに注力することを決めました。
画材を絞った方が画力向上と画風の確立においても確実に有利だと思ったからです。あと単純に「扱いやすい画材だから」というのもありますが笑
その後は可愛い系やほのぼの系、リアル系メインで作品を量産していき、少しづつ「自分の絵=画風」が定まっていくのを実感しました。
画力もメキメキと上がっていき、この頃は「絵を描くのが楽しくてしょうがない!」という時期でした。
「パステルの魅力に惹きこまれる」
冒頭でも少しお伝えしましたが、今まで私は鉛筆、色鉛筆、パステル、アクリル、水彩、油絵、デジタルと色々な画材で絵を描いてきました。
その中でも感じるのは【パステル】という画材は決して「難しい画材ではない」ということです。
なぜなら「指が筆代わりになるから」ですね。
実際の筆だと穂先の扱いが非常に難しくなってきますが、自分の指なら細かい所も自在に描いていくことが可能になります。
その辺りの「柔軟さ」がパステルという画材の一番の魅力だと感じます。
「大切な人の為に描く絵」
私は今までの画家人生で「自分が描きたいと思う絵」をただひたすらに描いてきました。時には「1人よがりの絵」と言われるようなドロッとした絵も描いたことがありましたね笑
しかし、それなりに画家人生を積んできた今、「【絵】はやっぱり人に喜んでもらう為に存在しているんだな」と強く感じるようになったんですよね。
家族や友人、大切な人に「嬉しい!」「凄い!」などの「喜びの感情」を与えること、それこそが本来の絵の存在意義なのだと思うんですよね。
そもそも人を不快にさせる為なら描く必要がないので。
私も年齢を重ねてきて色々な気持ちの変化がありつつ絵を描いてきました。これからは「人に喜んでもらうパステル画」を意識して制作に邁進していこうと考えています。
「絵は無限」
絵は本当に無限だなと感じます。描いても楽しいし、見ても楽しいし、時には時代すら動かす強烈なメッセージ性を放つ側面もあるわけです。
つまり「絵」とは、人間にとっては切っても切り離せない関係ということですね。もはや”娯楽だから無くてもいいもの”ではなくなっているわけですね。
今現在、絵を描こうかと考えてる方や中高年の方で「いつか絵を描こうとは思っているんだけど・・」と二の足を踏んでいる方は、
是非、この機会にパステルに興味を持ってもらえると嬉しいですね。パステルは本当に入りやすい優しい画材です。決して難しくはありません。
Keigo N(中原啓吾)/ 略歴
東京デザイン専門学校 夜間部修了
大学卒業後は希望の職種「IT職」に就き、青春を謳歌する予定でした・・が・・、その職場でモンスターのようなパワハラ上司に出会い、うつ病と悪夢を発症。
そのことが良い意味でひきがねとなり「自分は絵の道に進む!」という強い決意が生まれる。働きながら夜間の専門学校に通いつつ画力を磨き直す。
その後はパステルという画材の「柔軟さ」「暖かみ」に惹きこまれパステル画に注力。パステルの「粉」の質感が自分には向いている!と確信しパステル画に傾倒。
今に至ります。