
【エピソード4】迷走と誕生
イラストの専門学校
私は29歳の時絵の道を志すことを決め、原宿の東京デザイン専門学校に通い始めました。
昼間の全日のコースは学費が高い為、週4日の夜間コースに通うことを決めました。昼間はバイトをしながら夜はイラストの学校に通い忙しいながらも充実した日々を送っていました。
学校に通っている間はまだまだ学んでいるという立場もあり絵を仕事にするということに対して焦りの気持ちは全くと言っていいほど無く、ゆったりやっていこうと思っていました。
そして一年間でデッサンやイラストの基礎的なことを一通り学び卒業しました。
学校を出てからはまずは作品らしい作品をいくつか残すことと、自分の画風を確立すべく色々なタイプの絵を描いていこうと決めました。
かつて見た悪夢の映像を絵にしてみたり、イラストらしい可愛い感じのキャラクターを描いたり、リアル系のペン画を描いたり、ペンタブを使ってデジタル画を描いたりと様々に工夫を凝らして模索しました。
その中でもやはり毒々しいリアルテイストの絵が描いていて一番楽しかった。充実感を感じられたし、何より自分の内にあるドロドロしたものをそのまま絵に写し込めている感覚が快感でたまらなかったのです。
まさにペンが走るような感覚で生き生きとした線で描写することができました。自分自身を投影すること、それがまさに絵を描く喜びなのだと感じられました。
その後3年間は毒々しいリアルテイストの絵を中心に画力を磨くべく描きたい画風を好きなように描きながら時を過ごしました。どんどん絵にのめり込み狂っていきました。
画家ではなく「イラストレーター」として生きる
30代中盤に入り徐々に心境に変化が現れ始め、そろそろ絵で収入を得なければならないと焦るようになっていきました。
モチベーション的にも絵で収入を得ながらさらなる高みへと昇っていきたいと強く思うようになっていきました。
私は絵の道と言っても可能性の低い画家ではなくあくまでイラストレーターとしての将来を考えていました。
何故画家の道を避けたのか・・・
・画家はいつ収入を得られるかわからない
・日本ではそもそもアートへの関心が薄い
・周囲からの偏見
といった理由からでした。
そんな危険な橋を渡るぐらいなら単価が安くても収入の得やすいイラストレーターの方が効率的だと考えたからです。
また年齢のこともあるし早く何とかバイト生活から抜け出さなければと思い躍起になってイラストレーターの道を模索しました。
その中でも私はイラストらしい可愛い感じのキャラクター路線でいくことを決めました。雑誌、広告、文庫の挿絵等、使い勝手が良いだろうと考えたからです。
当時はこんなイラストを描いていました。
それに毒々しいリアルテイストの絵では仕事に結びつけることができないし、何より「イラスト」ではない。
この時から完全に自分が描きたい絵よりも、イラストの案件に合わせた絵を描けばいいのだという考えにシフトチェンジしていくようになりました。
「イラストレーター」としての活動
クライアントの求めるニーズに合ったイラストを描かなければ収入を得ることはできない。
「描きたい画風」を自分の中から排除しつつイラストレーションとしての枠組みの中で可能な限りの個性を出すよう心掛けました。
そういった本望でないスタイルの中でも考えながらイラストを描いて作品を溜めていきました。
そしてある程度の所で見切りを付け作品をファイリングし出版社に直接出向く持ち込みの営業をやり始めました。
始めは緊張もしましたが数社回ったあたりから徐々に慣れてきてリズムに乗る自分を感じられるようにもなっていきました。
このまま営業を続けていけばそのうち良い結果にもつながるだろうと根拠のない自信も芽生えるようになっていきました。
同時にイラストの公募展やアートの公募展にも頻繁に応募し賞をとって箔をつけて営業活動の足掛かりにしようと必死にもがきながら頑張りました。
イラストの専門学校の先生にも色々とアドバイスをもらいながら効率の良い活動は何かと考えながら行動しました。
それからは新作を描いてはファイリングをし出版社に直接営業、または郵送でファイルを送るというイラストレーターらしい活動に汗を流しました。このような活動を数年間続け、イラストレーターに近づく自分をよりリアルに感じながら日々を過ごしていました。
しかし・・・
現実は厳し過ぎました・・・。
「自分の絵」とは何か・・・迷走した8年間
いつどこの出版社から電話やメールでがくるかと四六時中ヤキモキしながら待っていましたが、待てど暮らせど見事なぐらいに何の連絡もきませんでした。
「しっかり考え的を得た努力をしてきたつもりだったのだが・・・。」
理想と現実に大きな溝を感じ落胆しました・・・。
気付けば専門学校を卒業して8年間の月日が流れていました。
「あっという間に38歳かぁ、嘘だろ・・・。思い描いていた自分の姿には程遠い・・・。」
「周りの友達は着実に地盤を固め成長していっている。自分は何をしているのか・・・。」
「何が原因なのだろう?」
「やり方が間違っていたのか?」
「それとも単純に努力が足りなかったのか?」
「こんなこと考えている暇があればすぐに行動した方が良いのか?」
「いや今までのやり方を闇雲に繰り返して意味があるのか?」
私は少しの期間、絵を描くことから遠ざかり自分を見つめ直すことにしました。
迷走した理由
数か月間、何事も手に付かない日々を送っていましたが、このままではいけないと思い改めて本当の自分、無駄なものをそぎ落とした自分に立ち返ってみることにしました。
その結果・・・、ニーズに合わせた絵を描くイラストレーターを目指した時点で自分にとっては間違った方向に進んでしまっていたということに気が付きました。
イラストレーターを目指したこと自体がどうこうでは全くなく、自分に嘘を付き、自分を押し殺した画風で目先の収入にしがみつこうとしたことこそが愚かな行為だったということに気が付いたのです。
確かに収入を得ることは大切なことなのですが、しかし自分にとってそれ以上に大切だったことは、
本来の画風で可能性を見出していくこと
だったのです。
絵を志す者としてブレてはいけない根幹の部分が完全にブレてしまっていました。
一番描いていて楽しい毒々しいリアルな絵、人が目を背けたくなるような狂った画風、そこを追及することこそ自分を表現することであり、自分に正直に生きるということだったのです。
このことに気が付くまでに8年という月日を費やしてしまいました。
本当に長かった・・・。苦しかった・・・。
画家の道
自分はようやく画家を目指そうと決意しました。
何事にも縛られず好きなものを描いていこうと思うようになりました。
どうせ一度きりの人生だし、描きたくないもの、つまらないものを描くぐらいだったら泥にまみれた汚い絵を描いて忌み嫌われた方が潔い。その方が私らしい。
独りよがりの画風と言われても構わない、縮こまって遠慮して描いた絵など面白いわけがない。それでは自分という者を発信できない。
「うまい」と思われるより「何だ、この絵は・・・」と嫌われ人が目を背けるぐらいの絵が私にとってはちょうどいい。自分に正直に生きることが人生なのだと感じます。
幸いにもインターネットを通じて私を画家へと導いてくれる方にも出会えました。
その方は、
「画家になることは決して一かバチかではない、継続して正しい努力をすれば必ず道は開ける」と教えてくれました。
これからはもう突っ走るだけなので何の迷いもない。
絵に狂っていこう。