グロ絵描きの人達へ、グロ絵を描いていて「絵のグロ度が低いなあ・・・」と感じた時は単純に「リアリティ」が不足していることが考えられます。

 

リアリティをだす為には何と言っても「写真=資料」を見て描くことが必要不可欠です。

 

こちらのフリー画像サイトで適した画像を探してみてください。

※資料の参考サイト
ptohoAC O-DAN 写真検索さん 足成

 

 

さらにグロ絵を描く時は「負の感情になって描く」ということが非常に大切な要素になってくると思います。絵を介して描き手の魂が見る人に必ず伝わるからです。

 

幸せな気持ちで描いたグロ絵は人の心を揺さぶるまでの絵にはならないでしょう。

 

 

ということで私は普段からあらゆる負の感情を集めた「狂気」を絵に込めるようにしています。

 

私の過去の経験と照らし合わせながら、「狂気を絵に取り入れること」についてお話させて下さい。何かの参考になれば幸いです。

 

自分らしい絵とは・・・

 

私は39歳、グロ絵描きです。

 

過去に、

 

「自分らしいグロテスクな絵が描けていない気がする・・・」

「何か足りない気がする・・・」

 

こういったスランプに陥ったことがありました。描いても描いてもどんどん迷宮入りしてしまうという状態でした。そんな折、友人に絵の評価をお願いしたところ、

 

「いつもの狂った感じがないなあ」とズバッと言われました。

 

「なるほど・・・それだったのか」と目からウロコでした。やはり絵で悩んだ時は自分を知る身近な者に意見を求めるのが一番です。自分だけで考え込んでいても答えは出てきません。

 

その当時の私は「万人受けしやすい絵を描こう」というつまらない方向に矢印が向いてしまっていました。収入を得たい、評価されたいという気持ちが強すぎて本来の画風を捻じ曲げてしまっていたのです。

 

ようやくそのことに気付き、これではいけないと考え本来の狂った絵に軌道修正すべく策を講じました。

 

それは、先述した通り絵を描く時に負の感情である「狂気」を最大限取り入れようというものでした。

 

狂気を絵に取り入れること

私の言う「狂気」とは、

 

かつて見た耐えがたい悪夢の映像や普段から心の中に抱いている怒り、苦悩のことで、私の中に眠る一切の負のパワーのことを指します。

 

こういった負の感情である「狂気」を頭に浮かべながら絵を描くのです。ひたすら苦しみを胸に抱えながら描きます。

 

そうするとこんな絵ができあがります。

 

この絵はまさに過去の苦い経験を呼び起こし、さらに悪夢の映像を鮮明に思い出しながら描いた絵です。狂気が込められた絵です。

 

ちなみにBGMには「NARC」という重苦しい麻薬犯罪の映画を流し相乗効果も狙いました。この絵は自分の中で数年間のスランプを払拭できた会心作になりました。

 

 

私の中で「狂気を取り入れて描くこと」の利点について考えてみました。

 

グロ絵のイメージが圧倒的に湧きやすい

狂気は嘘のない純粋な感情なので必然的に「自分自身」が投影された絵になる

「ありきたりな絵」には絶対ならない

 

といったところです。

 

これ以降、負の感情である「狂気」をできる限り頭の中で鮮明に映像化して描くよう日々心掛けるようになりました。

 

 

 

それでは絵を描く時の感情について私なりに考えてみます。

 

絵を描く時の感情

絵を描く時の感情は人それぞれです。

 

ゆったりした気持ちで描く人、楽しい気持ちで描く人、めんどくさい気持ちで描く人、無心で描く人など、色々あると思います。

 

ただ多くの人は楽しみながら、心地よい気持ちで絵を描いていることと思います。ほぼそれだと思います。

 

しかし絵を描く時、必ずしもプラスの感情になる必要はどこにもないと私は思います

 

むしろ私は負の感情を抱くことで「混じりっ気のない純粋な絵」を描くことができるようになるのではと考えています。

 

その辺りを深堀りします。

 

「混じりっ気のない純粋な絵」

世間的に評価されやすい「花鳥風月」の絵や「明るく楽しい感情で描いた絵」というのは誰が見ても心温まる絵だと思います。それは間違いないと思います。

 

ただ私からすると花鳥風月は見飽きたし、明るく楽しい絵は圧倒的すぎて繊細さを感じません。

 

 

特に明るく楽しい気持ちで描いた絵を見ると時に、本来そのモチーフが持つ性質以上に「きれいな絵」「美しい絵」にしてしまおうという人間のエゴイズム的精神が透けて見えてしまうような気がするのです。

 

それゆえ「うまい絵に近づけたい」という欲望のようなものがちらっと絵に表出してしまっているような印象を受け、ゲンナリする時があります。全てとは言いませんが。

 

 

それに対し負の感情で描いた絵は、そのようなわざとらしく美化しようとするフィルターを通さない為、「その人本来のクリアな絵」「より混じりっ気のない純粋な絵」に仕上がるのではないかと思うのです。

 

 

欲望や美化といったフィルターを通さないという観点で言うと、例えばアウトサイダーアートがそれに当てはまると思います。

 

「アウトサイダーアート」

アウトサイダーアートとは、簡単に言うとしっかりとした芸術教育を受けていない知的障害者や精神病患者が作った作品のことを指します。

 

アウトサイダーアートは「アール・ブリュット=生の芸術」とも言われています。個人的にこの「生の芸術」という言葉が大好きです。

 

 

下の絵を見て下さい。ヨハン・ハウザーという知的障害者が描いた絵です。
この絵が何かの欲望美化といったフィルターを通して描いた絵に見えますか?

 

出展:THE WORLD OF OUTSIDER ART

出展:THE WORLD OF OUTSIDER ART

 

私には見えません。まさに「何の欲望も美化も持たない純粋なアート」だと言えると思います。何の欲望、美化も持たない状態というのは「生の自分」を投影していることに違いないはずです。

 

最後に

アウトサイダーアートのように「生の自分」を投影することに可能な限り近づく為、生の感情である「狂気」を絵に取り入れることを私は大切にしています。

 

色々と言いたいことを言ってしまいましたが、私はかなり屈折した人間です。自分でもそう思います。

 

要は「人と同じ描き方をしていたら、突き抜けた面白い絵にならないのではないか」ということを言いたいだけです。

 

ただ「狂気」を頭に浮かべながら絵を描くのは本当にしんどいです。1作品描き上げた頃にはぐったりします。

 

従って、ここぞという時に自分の中に眠る「狂気」を呼び起こして絵を描いてみると、グロ度が増量される1つのきっかけになるのではないかと考えています。

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