絵が「上手い」と「下手」の境界線は何だろう?と昔はよく考えていました。

 

世間一般的には「上手い絵」というのは明らかに写真のようなリアルな絵という認識で間違いはないと思います。

 

「下手な絵」というのは落書きのような絵ということになると思います。私もそう思っていました。

 

しかし、必ずしも写真のような絵が評価されるとは限りません。リアルな絵は意外とリアルすぎてピンとこないという感想を持たれることもあります。

 

さらに無機質に感じられる為、温かみに欠けると捉えられることもしばしばあります。そもそも写真に近い絵なら、最初から写真で良いのでは?という論争もよく展開されています。

 

リアル過ぎることで、絵として認識されずらいという側面もあるということです。

 

ただハイパーリアリズムという分野の絵も注目を集めているのも事実です。

 

 

逆に落書きのような「下手な絵」が高く評価されることもあります。アメリカのアーティストでバスキアというアーティストがいます。

 

このバスキアは下の作品のような子供が描き殴ったような画風が特徴です。そんな一見落書きのようなバスキアの絵はもう一人の世界的アーティスト、アンディ・ウォーホルに見いだされ、世界中で知られるようになり高く評価されるようになりました。

 

さらにバスキアの生涯は映画化もされ歴史に名を残すまでのアーティストとなりました。

 

 

 

上記のことを踏まえつつ「上手い絵」と「下手な絵」を私なりにザックリ考えると・・・、

 

結局は「うまい絵」「下手な絵」という概念に縛られること自体が無意味なのだと感じます。

 

月並みな意見かもしれませんが「絵に魂が込められているかどうか」、それが全てなのだと思います。

 

 

 

私は絵を始めた当時、明らかに前者のようなリアルな人物画に憧れていました。そして、それから数年後、ある程度リアルな人物画を描けるようになりました。

 

展覧会などで自分が描いた絵を見せると周囲の人たちは皆、驚いてくれて、それがとても快感でした。今まで頑張ってきた甲斐があったなと実感できる瞬間でした。

 

しかし、徐々に虚しさのような気持ちも湧いてきました。写実的なリアルな絵はある程度、「写真=資料」に依存する部分があります。

 

 

頭でこんな絵を描きたいと思っていても、その通りの写真=資料が無い場合はそれに近い写真=資料で妥協することも度々あります。

 

 

始めは「まあ別に良いか」と考えていましたが、段々と「また資料に合わせた絵を描かなければならないのか・・・」と絵を描くことが事務的な作業に思えてきたのです。

 

そんな気持ちが積もり積もった時に思ったのが「リアルを追及し過ぎることは、絵描きとして面白みに欠ける」という考えです。

 

やはり絵は「絵だなあ」と思える感じで良いのだと思いますし、そういった隙間にこそ魂が込められる余地があるのだと感じます。

 

 

従って現在の私の画風は「ある程度のリアルにオリジナルを盛り込むぐらいの画風」に落ち着きました。

 

 

絵が売れる、売れないはもう結構どうでもよくて、絵に魂がこもればそれで良いと最近は感じています。

 

過去に収入の可能性を優先させた為、画風を大幅に変更したことがありましたが、まさに時間の無駄でしかありませんでした・・・。

その時の話はこちらの記事で解説しています。

 

PS.絵は「上手い」とか「下手」ではなく、魂が「ある」か「ない」かで推し量るものだと感じます。

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