昔は絵のタイトルをつけずに「無題1」「無題2」・・・といった感じで謎めいたオーラを残すようなことをしていました。

単純にどうしても良いタイトルが浮かばない時もありましたが。

 

 

ただ時が経つにつれ、「見る側の視点」というものを少しづつ考えるようになりました。

 

描き手はそれぞれに気持ちを込めて絵を描きます。そして自信を持って人前に絵を出します。

 

 

そして、その描き手のパワーを見る側が受け取り、各々が自分の中でかみ砕き感想を持ちます。この過程の中で「タイトル」という要素が見る側に与え得る力は非常に大きいと思うのです。

 

例えば、大きなキャンバスで真っ赤な背景の中にポツンと白い物体が浮いている絵を描いたとします。そしてタイトルを「無題」としたとします。

 

 

描き手としては、グツグツと燃える赤い炎の中に、一つの「白」を入れることで赤とのコントラストを利用し「優しさ」を表現したとします。

 

 

これを見る側に立って考えてみると、見る側は描き手がどんな意図で描いたのか、描いた時のテンションを知りません。当然です。

 

描き手がどんな人物なのか予備地知識があれば多少は違いますが、だいたいは情報なしに絵だけを見ます。

 

そうなると、真っ赤な背景に白がポツンと存在する絵を見た時に、見る側が描き手側の気持ちのレベルに到達する為の「何かしらのヒント」のようなものを与えないと、見る側が描き手のテンションと同じ高さまで到達することが非常に困難になると思うのです。

 

もしそこでタイトルがあれば、見る側のテンションを少し描き手側に引き上げることができます。

 

 

例えば、高い塀の上に自分がいて、下にいるもう一人に「いい景色だから上がってきなよ」と言ってはしごを差し出せばゆっくりでも上に登ってこれるようになります。しかし、はしごがなければ登ることもできず、「良い景色」とは何なのか理解できず、やがては嫌気がさし登るのを諦めてしまうことになるでしょう。

 

従って、絵に込めた想いを少しでも理解してほしいと考えるなら案内や道しるべが必ず必要になると思うのです。

 

 

絵はある意味「描き手のエゴイズム」です。それは仕方ないことだと思います。しかし、そのエゴイズムの最初の間口をどれだけ広げられるかはまさに「タイトル」にかかっているのではないかと思うのです。

 

個展に来てくれたお客さんを想定すると、タイトルで間口を広げ、それに興味を示してくれたお客さんにさらに詳しい作品説明をすることで絵の魅力を伝え購入につなげるといった流れが望ましいのではないかと考えます。

 

私が考える「絵にタイトルをつける理由」はそんなところです。

 

余談ですが、日本人画家の絵のタイトルは明治以降もモチーフを見たままの「直球」のタイトルが多いようだと知り合いの画家から聞きました。もちろん現代アートではこじゃれたタイトルもつけられていますが、コミュニケーションに積極的なタイトルはあまり少ないように感じられるとのことです。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事