私はかつて神経質な人間でした。

 

今では色々吹っ切れましたが、昔は相当神経質な人間でした。

 

例えば、誰かと話していて私が何か言ったことに対して、相手の表情が少し曇った時、

 

「あれ・・・怒ったか・・・」など相手に引っ張られてしまう時が多々ありました。

 

また逆のパターンでは、相手が何気なく自分に言った一言が何日か経過した後から妙に気になってしまい、時には落ち込み、時には怒りが湧いてきたりと

 

モヤモヤが停滞してしまうことがあったりもしました。

 

こういった小さなことを気にする自分を嫌に感じながらも、神経質が良い方向に作用するときもありました。

 

それは絵を描いている時、私は基本、リアル画や細密画を好んで描いているのですが、その過程で複雑に入り組んだ箇所や、繊細に描かなければならない箇所があると

 

異常なまでに集中して描けたのです。おそらく神経質だからこそ、「まだまだ綿密に描ける、こんな絵で納得してはいけない」と自分を鼓舞するように細かな描写ができるようになったのです。

 

そのおかげで下のような絵も完成させることができました。250時間かかりましたが・・・。

 

 

ただ、絵に関して良いことばかりではありません。神経質すぎるゆえに、絵の終わり時を定めるのに非常に苦労しました。

 

上の鉛筆画を描いている時も、どこまで細かく描きべきか、どこまで描けば自分が納得できるのか、そのラインを定める「測り」のようなものが、

 

麻痺してきてしまい分からなくなってしまうのです。ですので、神経質すぎるのも「良くも悪くも」といったところかもしれません。

 

 

「人生」に話を置き換えると、やはり神経質すぎのは良くないだろうと思います。

 

 

なぜなら一々、気持ちの起伏が激しくなるからです。かつては仕事をしいても些細なことで、周囲の目を気にしてしまい本来の動きが出来なかったりしました。

 

 

正しい行動なのに自信を持てなかったり、失敗を恐れて行動が遅れたりと、うまくいかない時がありました。なかなかつらい日々でした。

 

 

しかしある時、「もう色々疲れたなあ、ありのままの自分でいいや」と半ばやけくそ気味に、自分自身を根底から見直そうと思ったのです。

 

 

年齢を重ねたことも起因していると思いますが・・・。

 

 

その結果、驚くほど色々なことに前向きになれたのです。仕事に関しても「自分の中でしっかりやれていれば、もうそれで良い」という踏ん切りが付けられるようになりました。

 

絵に関しても繊細を保ちつつも「この絵はこれで十分かけてるから終了にしよう」という線引きも簡単にできるようになれたのです。

 

 

やはり人生スムーズに生きるには適度に「物事を楽観視する」ぐらいの感じが一番良いのではないかと思います。

 

 

 

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