
私はこの記事を執筆している少し前に40歳になってしまった鉛筆画家のKeigo Nです。
今までの40年間を振り返り、明らかに「無駄だったこと」を2つ紹介していきたいと思います。
まずすぐに頭に浮かんできたのが、美大生活4年間です。
絵描きを目指しているのなら必要だったのでは?と思うかもしれませんが、私にとっては堕落しきった空虚な4年間でした。
そもそも入学した学部が美術館や博物館の学芸員を育てる理論系の学部だったのです。実技系なら絵描きに通じる何かの技術は学べたと思うのですが、
理論系の学部とあっては、技術的な授業は選択科目で少々触れるぐらいで、あとは机の上の授業が専らでした。まあ当然のことですが・・・。
さらに真面目に授業に取り組んでいたならまだしも、ほとんど学校に行かず家でぐうたらしながら、単位取得もギリギリの状態で卒業しました。
プライベートでも、あまり話の合う友達もおらず、イマイチ微妙な人間関係のもと、ふわ~っとした付き合いが続いただけの4年間でした。
総括すると高い学費を親に出させ、何の技術も身につかず人脈も作れず、楽することだけを追求したクズのような4年間だったということになります。
大学生活についての詳しい話はこちら↓
その他で無駄だったことと言えば、絵の公募展に過剰に出品したことです。
詳しい話は以下の記事でまとめています。
数年前は画家になる為の一番確実な方法は、やはり公募展に出品して大賞でも受賞して、
名を売ることだと考えていました。そして、どこぞの誰かや、どこぞの企業から仕事の案件を受け、
そこからまた飛躍して・・・などど夢物語を展開していました。
おそらく30ぐらいは出品したのではないでしょうか。そのうち2回だけ入選をもらうことができましたが、
そんなに規模の大きい公募展ではなかったので、その後は特に何かの依頼を受けるなどは皆無でした。
確かに、大きい公募展で大賞を受賞して、注目を集め名を挙げる人もいるとは思いますが、
結局そういう人も受賞後、「自分で行動しチャンスを広げる」ということをしなければ、
またすぐに振り出しに戻ってしまうという話もよく聞きますし、公募展の本質は
「誰かに引き上げてもらこと」を前提としている画家活動ということが言えると思います。
つまり、大賞を取っても誰かに見いだされなければ、結局は「自己の満足のみ」ということになってしまうのです。
悲しいかな公募展での受賞は、決して何かが確約されるものではないということです。
ということで、私はブログやSNSを駆使して画家活動を展開していこうという考えに至りました。