私は今まで人物の模写をメインに絵を描いてきた鉛筆画家のKeigo Nです。

「人物模写の魅力」について語らせて下さい。

 

始めに・・・

 

 

人物模写は画力6割、「忍耐4割」だと感じます。

 

絵はただでさえ孤独な戦いにも関わず、模写となればその孤独感は随一です。心の拠り所がありません。写真の通りひたすら写していくだけなので。

 

オリジナル作品なら自由に手を動かしながら、楽しく描いていくことと思います。それが絵の醍醐味ですし、それで何の問題もないと思います。

 

しかし、模写となると写真にいかに近づけられるかが大前提にあるわけなので、自由に手を動かしていては当然繊細な描写はできません。

 

よって、規則性を持って描き進めていくことが最優先となるわけです。毎作品ブレずに同じような流れで描いていく技術が求められます。

 

つまり「絵」というより緻密な「作業」と言った方が正しいのかもしれません。写真を模して正確に写していくのが「模写」というジャンルになります。

 

複雑な模様があれば、オリジナル作品のように一切のアレンジ等はせず、ひたすら細かい描写を続けていかなければなりません。

 

まさに自分との孤独な激闘となるわけです。

 

 

 

ただ苦しいことばかりではありません、当然模写を繰り返していけば、「質感の表現力」が格段に上がっていきます。

 

つるっとした被写体、ザラザラした被写体、カチッとした被写体等々、どんな被写体が目の前にあっても大きく描き損じるようなことはなくなっていきます。

 

絶対的な描写力が身に付いていきます。描写力に加えて「見る力」も備わっていきます。よくデッサンは何の為にやるのか?という問いがあると思いますが、

 

それはまさに「見る力」を養う為に行うプロセスなのです。デッサンは実際の立体物を見ながら描くものですが、

 

写真を見ながら描く模写に関しても充分に「見る力」というものが養われていきます。実際、私はデッサンよりも模写で「見る力」が養われたので。

 

 

さらに、写真と見まがう程の模写ができたのならば、多くの人から圧倒的な賞賛を得ることができます。

 

昔からよく「写真のような絵なら最初から写真でいいのでは?」という議論がなされていますが、近年ではもう、

 

「スーパーリアリズム」という世界も安定的に評価され続けていますし、今後も大きく衰退するということはないだろうと個人的には思います。

 

なぜなら実際、写真のような絵を目の前にしたならば、条件反射的に驚いてしまうというのが人間の本質的な心理であり、それはもう今後も変わるはずがないからです。

 

 

写真のような絵が描ければ、全ての反論に無関心になるほど「圧倒的な楽しさ」を感じます。私もまだまだ修行中ですが。

 

これからも人物模写を続けてきます。

 

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