もうすぐ40歳になる鉛筆画家のKeigo Nです。人生80年と考えると、ちょうど折り返し地点です。

そこで、今だからこそあえて、自己分析をしてみることにしました。10年前の自己分析とはまた違う分析結果になるのではと考えています。

 

私は何をするにも常に「周囲より突出していたい」と思う性格です。遊びの何かでも仕事のポジションでも、普通のものではなく「希少性」を周囲に

抱かせるような、そんな人間でありたいと常に思う方です。まあ一言で言えば「ひねくれた人間」ということになるのでしょう。

 

例えば遊びで言うと、友人とゲームをしていたとします。ゲームの種類はストリートファイターⅡのような対戦型のゲームだとします。

 

そんな時、決まって私は誰も選びたがらないようないわゆる「際物キャラ」をあえて選択し、そのキャラを習得し技を磨くことで周囲との差別化を図ることで一種の優越感のようなものを感じたりしていました。

 

仕事の場合だと、20代のころ携帯電話のエラーチェックの仕事をしていたのですが、その時が本当に自分の「ひねくれた性格」が顕著に表れていたピークの時期だったと感じます。

 

一つの携帯電話のプロジェクトが始まると、機能ごとに細かくチーム分けがされますが、大体は既存機能をそのまま受け継ぐパターンがほとんどなのですが、当然、新機種なので「新機能」が盛り込まれるわけで、そんな時、なぜか私は良いのか、悪いのか新機能の担当にさせられることがよくありました。

 

新機能は過去のテストの積み上げがないため、当然私が初めてのテスターとなるわけです。そうなると精神的にもかなりの負担があるわけですが、そんな中でも私は「自分がやっている新機能は誰もテストの経験がない、私は前例のないことに挑戦している」という一種の興奮を覚えることもあったのです。

 

むしろ、今自分は他者と比べて特別な人間なのだと、自分で自分を特別視して悦に浸りながら、仕事へのモチベーションにつなげていました。

 

こういった自分に希少性を求めるような心理は「画風」にも大きく影響していると感じます。

 

 

まず私は「よく見る感じの絵」があまり好きではありません。ザックリ言えば花鳥風月の水彩画やほのぼの可愛い系のイラストです。

誰が描いても一定の温かみ、一定の可愛らしさが乗っかりますし、そうなると作品自体の意義をあまり感じません。

ただこれらの画風の絵が一番、世間一般的には一番需要があり、こういった絵ばかりが評価の対象になっている現状があることに、ゲンナリする時があります。

 

そしてそこには「希少性」が一切ありません。

 

 

従って私は、それらの花鳥風月の水彩画やほのぼの可愛い系のイラストとは打って変わって、「おかしな絵」「奇妙な絵」時には「グロテスクな絵」

を過剰に描くようになりました。そこには希少性が詰まっているからです。

 

希少性を追い求め、「自分だけの絵」「差別化を図る絵」を描き、それを自己の表現と捉え、原動力とすることで私の絵描き人生がより豊かになるのです。

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