
もうすぐ40歳になる鉛筆画家のKeigo Nです。
私は今まで何不自由なく生きてきました。父と母が支えてくれたおかげです。私みたいな極端な人間を育てるのも本当に大変だったのだろうと強く感じます。本当に苦労をかけてしまった・・・。
父は今年で80歳になりました。80歳にしては元気な方だとは思いますが、生活の中で随所に「老い」を感じます。
私からの問いかけに対する反応の鈍さや、姿勢、注意力の欠如など、ここ数年でぐっと老人に近づいた印象です
体自体は元気は元気ですが、いつ良くない知らせが入ってもおかしくないといった年齢になりました。早く私自身が「画家」として目を出し、安心させてあげなければならないと日々、焦る気持ちです。
40歳を前にして、焦り、不安、重圧など色々な気持ちを抱えながら生きています。まあそれも仕方のないことだとは思いますが。
ふと「40歳」・・・と考えると・・・私が生まれた時の父の年齢が40歳です。色々な意味で信じられないといった感覚です・・・。
そこで改めて「40歳になった自分」というものを考えてみました。
高校生の時、自分が25、6歳になった時のことを想像し、
「だいぶおっさんになっているんだろうなあ」などと考えていましたが、それが・・・恐ろしいことにあと少しで40歳になるわけです。
時が経つのは早すぎます。まあ皆こうやって歳を取っていくんでしょうが。
まず歳を取ることで一番変化を感じるのは「言動の変化」です。自分が小さい頃、父はなぜこういう動きをするのか? なぜこういう言葉を発するのか、その頃は全く理解できませんでしたが、今では・・・それが手に取るようによくわかります。
そこで今だから納得できる「おっさんのよくある言動」を列挙します。
・敬語を使う相手に対しての返事で「はい」と言うところを「ええ」と返答してしまう
・てのひらの水分がなくなってきて、紙をめくる時指をなめてしまう
・物を置いた場所をすぐ忘れる
・生活の中であらゆることがめんどくさくなる
・礼儀知らずの若者が鼻につく
・ニュースがおもしろい
主にこんなところです。
自分もご多分にもれず「おっさん」に近づいているようです。
しかし、そんな中でも良い面も当然感じます。こちらも列挙します。
・知恵がついたので、胡散臭い話に敏感になった→危険回避
・自分がどういう人間か熟知しているので、効率的な行動を取れるようになった
・安定を求めるようになったので金遣いが荒くなくなった
・欲望を制御できるようになった
こんなところです。
まだまだ未熟な人間ですが、何とか父と母を支えてやりたいと強く思います。